ご挨拶
「もし、人より素晴らしい世界を見よう、そこにある宝にめぐり逢おうとするなら
どうしたって危険な道、恐い道を歩かねばなりません。
そういう道を求めて歩くのが、才能に賭ける人の心構えなのです。」(瀬戸内寂聴)
「50歳を人生の一つの区切りに」と自身の人生計画を長年にわたり漠然と持ち続けてまいりました。
自身の日々の経営はもちろん、高校、大学などの教育現場での指導経験、中小企業119経営アドバイザーとしての民間企業へのサポート、地域課題への取り組みなど、学も才能もない自分は、「とにかく誰よりも仕事をしよう」という、それしか勝負する手段がなく、ただがむしゃらに取り組んできました。自分の結婚式に寝ずに仕事をして式に向かい、戻ってまた仕事に取り掛かりました。(神父さんの目の前で居眠りをするという大失態を犯しましたが)。体調を崩して手術をした際も仕事をして病院に向かい、夜ギリギリまで病院で休み、お医者さんに家でおとなしく静養するから頼むから帰らせてくれ、とお願いし翌日普通に仕事を行いました。まともに子供と遊んであげることもできず、家族旅行など行ったことがありません。(それでも家族仲良くやっています)。
「誰よりも努力を」、そんな不器用で一見馬鹿げた仕事の仕方を経営者として20年、ただの1日も休まずにやってきた事で「強靭な精神力」というものを身に着けることができました。毎日のように夜中から起きて仕事をし、どんな過酷な仕事にも向き合ってきた事で得ることができたものであります。今、自分が自分であり続けるバックボーンとなっている事は間違いありません。コンプラだの働き方改革だのと言っていたら絶対に見えてこない世界が存在すると思っています。
そんな積み重ねてきた人生の中で見えてきたもの。今の世の中に足りないもの。
数年前から50歳という漠然とした区切りのイメージが、「自分の技術、知識、経験がほんの少しでも世の中に役に立てることがあるのではないか」、「現状の問題点をを自分の力でほんの少しでも埋めることができるのではないか」と感じ、はっきりとしたものに変わってきました。そして50歳という年齢に差し掛かり、「人生は一度きり」という想いを再度噛み締め、「百聞百見百考は一行に如かず」当社団法人の設立をいたしました。
「自身が勝負してこそ、人生を賭けて事業に向き合っている経営者の気持ちに心から寄り添える。自身が夢や志を持って日々努力をしてこそ、若者に夢の大切さを伝えることができる。自身が向上心を持って命懸けで仕事に向き合ってこそ、我が子にその生き様を伝えることができる。目の前の大切な人を幸せに、目の前の大切なものを守り抜く。その積み重ねこそが日本の、地域の人々の幸せに繋がる。」
という私自身の確固たる信念があります。ある外科医の知人が酒の席でこう言っておりました。「俺は手術で人の身体にメスを入れるが、俺が切られたことがないからどれほど患者が辛いか分からないんだよね」と。何気なく言った言葉でありますが、「自分が経験をし、時に痛い思いをして初めてそれがどれほど辛いのか、人の気持ちがわかるようになり、心で寄り添えるようになる。」と私は常々思っております。これは私が行っている様々な被災地復興支援活動におきましても、私が被災経験があるからこその活動であり、仕事におきましても「誰かに寄り添い、支える」というのは事務的な対応やパフォーマンスで行えるものではない、と私も被災経験のある者として、そして様々な重大な局面を支えられ、それらを乗り越えて今があるからこそ言い切れます。一言、そこに「心」があるか、ではないでしょうか。
「水の抜かれたプールに御猪口一杯の水を入れても目に見えて増えているとは感じない。しかし確実に御猪口一杯分は増えている」と、ある上場企業の創業者の方がおっしゃっておりました。目の前の、我々の力を必要としてくださる方に対して全力で向き合う。「着眼大局、着手小局」その積み重ねこそが仕事はもちろん人生の基礎である、と考えております。目の前の大切な人を疎かにして世の中の人を幸せにすることなどできないという姿勢はずっと変わらず持ち続け、そのように生きてきたつもりです。
これまで経営者というプレーヤーとして、多くの方々とのご縁に恵まれ、支えられながら20年という月日を過ごして参りました。これからの人生、誰かを支える側に回り、挑戦、一歩踏み出す勇気を持ち、自分らしく生きる芯の強さを 育み、「利他の精神」、まさに他人のために熱くなれる人情味のある、そして夢、志のある人の背中を押す役割を担って参りたいと思っております。
杉山洋介 拝
代表理事プロフィール
1971年生まれ伊東市出身。地元の高校を卒業後、就職をするが組織の一員という感覚に馴染めず即退社。音楽、海 etc… ただただ好きな事をやり続けるが、更なる刺激を求め20代後半単身アイルランドに渡りロックバンドを結成。その後フルート奏者となり2000年ミレニアムカウントダウン単独ライブを首都ダブリンにて開催。日本に帰国後、創業明治15年の伊豆の老舗豆腐店「吉正」の代表取締役となる。
「挑戦」という自身の大切にしている姿勢を貫き、2009年、ド素人がスイーツブランド「甘恋浪漫」を立ち上げる。直後にドイツ、フランクフルトにてモンドセレクション最高金賞の表彰を受け、静岡県の県知事表彰となる「ふじのくに新商品セレクション」においては5年連続表彰という県内最多受賞記録を持つなど様々な賞を受賞。仕事でヨーロッパに必ず戻ってみせる、という目標を持ち続け、2019年フランスにおいて甘恋浪漫の販売を実現。
また、デザイナーとしての顔も持ち、数々の商業デザインや某有名ジャーナリストのPRデザイン、某地方選挙候補者の選挙PRなどを手掛ける。写真撮影では多くの コンテストで優勝をするなどの実績を持ち、映像制作にも取り組む。
近年、自身の経験を生かし、社会人、大学、高校など様々な場面で講師を務め、また、中小企業119経営アドバイザーとして企業の経営サポート、被災地復興支援活動、地域課題への取り組みなど精力的に活動する。